豚骨醤油ラーメンの濃い味、学割の大盛りでお願いします

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ラーメンを食べている。

豚骨ベースの醤油ラーメン。

高校時代から通い続けているラーメン屋なので、食べ慣れた味と言ってもいいかもしれない。

 


アルバイトの最中にふとラーメンが食べたくなってしまい、心の中であがったらラーメン屋に行く、と決めながら手を動かしていた。

ここ2週間で4kgほど太ってしまったので本当はラーメンを食べている場合ではないのだけれど、食欲には抗えない。ちなみに太った主な原因は薬の副作用による食欲の増加。反省の色が見えない。

 


帰り道、途中の駅で降りる。

高校時代も、フリーター時代も、予備校生時代も、そして大学生の今も。ずっとこのラーメン屋に通っていた。

 


店の中に入ると席はかなり埋まっていて、あいていた真ん中の方の席に座った。

 


カウンターの中にいる店長と目があった。笑顔で会釈をされたので、同じようにする。

彼はいつもアディダスの黒い帽子をかぶって、眼鏡をかけていた。

かなりの頻度で、しかも女ひとりで行くからなのか、いつからか顔を覚えられて、しばらくはこうして会釈だけをする関係だった。

 


すると、いつもは麺を茹でる鍋の前にいる店長が、こちらへ近寄ってくる。

珍しいな、と思っていると、「会いたかったです」と言われた。

熱烈だった。

店長とはラーメン屋の店長と客、という関係だと思っていたのはわたしだけなのだろうか。そう思いながら曖昧に笑う。

 


言葉を交わすようになったのは2年ほど前だ。

「豚骨醤油ラーメンの濃い味、学割の大盛りでお願いします」

いつものようにわたしがそうして注文すると、店長が口を開いた。

「はい、いつものね」

店長が得意げに笑う。

「いつも来てくれるよね」

「あ、はい……」

「大学生?」

「はい」

「いくつなん?」

「20歳です」

わたしは驚きと、顔を覚えられていた気恥ずかしさでいっぱいっぱいになりながら、店長の質問に答えた。

それからは、店に行くと店長が注文を取りに来てくれて、わたしが「豚骨醤油ラーメンの……」と言いかけたところで「いつものね」とうなずかれるようになった。

 


「僕、もうすぐやめるんですよ」

店長はそう言った。

わたしは驚いて声を上げてから「それは……ありがとうございました……」と呟く。

店長はくすぐったそうに笑ってから、注文が決まったら言ってください、と言って奥の方へ行った。

 


その光景に既視感があった。

店長はわたしにとって、2人目の店長だった。

このラーメン屋はチェーン店で、わたしが高校生の頃はまた別の人が店長をやっていた。

笑顔が爽やかなスポーツマン、といった風情の人で、その人にも顔を覚えられていた。ひとりで来る女子高生は珍しかったのだと思う。

 


午後3時頃だった。

学校をサボってラーメン屋に入って、いつもと同じラーメンを食べる。

中途半端な時間だったから、店には店長とわたしの2人しかいなかった。

「俺、ここの店長じゃなくなるんですよ」

麺をすするわたしに向かって、彼はそう言った。咀嚼しながら首をかしげる

そうなんですか?とたずねると彼は笑った。目尻にくしゃりとしわができる。

「横浜に行くんで、よろしくお願いします」

何をよろしくしたらいいのかわからないまま、わたしはうなずいた。

その後に来たのが、今の店長だった。

 


すみません、と手を上げて店長を呼ぶ。

いつも店長が立っている鍋の前には別の男の人が立っていた。

目の前に来た店長に「豚骨醤油ラーメンの濃い味、学割の大盛りでお願いします」と呪文のように唱える。

店長は「はい、いつものね」と笑った。

 


高校をやめてフリーターになった後、小さな予備校に通い始めた。

予備校はちょうどラーメン屋のある駅にあって、通いやすくなるなと思ったのを覚えている。

予備校の昼休み、数少ない女子達は空き教室で集まってご飯を食べる。みんな、お母さんの作ったお弁当を食べていた。

わたしも同じようにお弁当を持参してその輪の中に混じっていたのだけれど、時々、息苦しさを覚えては、昼休みの少しの時間を使ってラーメン屋に駆け込んだ。

 


「豚骨醤油ラーメンの大盛りです」

ありがとうございますと言ってから、写真を1枚だけ撮る。普段はラーメンの写真はあまり撮らないのだけれど、なんとなく今日はそういう気分だった。

「いただきます」

 


高校生の頃、学校に行くのがしんどかった時期に、わざと電車を乗り過ごしてラーメン屋がある駅で降りていた。

昼まで本屋あたりをぶらついて時間を潰して、サラリーマンの昼休みに混じって制服でラーメンをすすった。そうするとなんとなく、社会の中にいるような気持ちになれた。

自分の情けなさとか、つらさとか、そういうものを吹き飛ばしてくれるような、豚骨の旨さに救われていた。

 


食べ終わって箸を置く。

お茶を一杯飲んでから「お会計お願いします」と言うとまた店長がこちらへ来てくれた。

「712円になります」

財布の中から1012円を取り出して、店長にわたす。

 


「会いたいなーと思ってたんですよ」

店長が眼鏡の奥で目を細めた。わたしも同じように笑う。

「ちょうど、今週いっぱいだったんです」

おつりの300円をわたしの手に乗せながら店長が言った。

「会えてよかったです」